和平村:日本人捕虜の再生地
監視塔
抗日戦争の初期、国共合作(国民党・共産党の協力)により、国民政府軍政部が成立した。周恩来氏が副部長となり、その下に3つの庁(機関)が設置された。郭沫若氏が庁長を務めた第三庁は、日本軍への宣伝工作、捕虜の管理や教育などを担当した。
抗日戦争勝利後、和平村反戦同盟の137人の捕虜は、1946年3月、長谷川敏三隊長の統率により日本に戻った。彼らはその後、東京で集会を開き、「生涯、日中友好と世界平和のために奮闘する」と誓いを立てた。長谷川さんは1982年から87年までの5年間に三度にわたり、この同盟の人々を引き連れて、和平村を訪れている。万感胸に迫った彼は「(和平村のある)鎮遠は、我々の再生の地であり、第二のふるさとです」ともらした。
省都済南
教育
済南は山東省の文化、教育の中心とする。省都のため、多くの高等教育機関が済南に集まっている.
経済の発展
済南は中国近代歴史での第一の商埠を創設し、開港して、近代の中国内陸都市の中で商売と対外開放をする先駆けとなった。
歴史文化
済南市は中華文明の発祥地の1つで、約3千年の歴史を持ち、国に公布された最初の歴史文化名城である
旅行案内
「天下第一泉」といわれるホウ突泉、湖畔に伝統的建築物が残る大明湖、摩崖仏が多く彫られたことからその名がついた千仏山は済南の“三大名勝”と呼ばれる。
七十二名泉
済南は“泉城”と呼ばれる。2005年9月に実施した≪済南市名泉保護条例≫の中に合計645処の名泉がある。
済南について
済南市(さいなんし)は中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の政治、経済、科学技術、文化、教育、旅行、の中心としての地位を占める。